
最終回をテレビで見ようと思っていたのだけど 録画失敗という 最後に来てこれかーっていうやらかしをしてしまったので、動画サイトをまわって なんとか見ることができました。 動画サイトを批判する向きもあるようだけどこれで確実に一人ソフトを買う人間が増えましたのよ業界のえらい人
で いちおう3回見ました 3回目はコメント付きで
最終回で失速だの クサイ演技だの こんなので泣けない というコメントが目立ったわけですが
最近のアニメというのが いわゆる見せ場だけを継ぎ接ぎした 化学調味料状態で、私には『あの花』はとても良い演出に見えたのだけど そうした過激なシーンばかりを期待する(慣れている)若い人には今ひとつに感じられたのかも知れないなあ と
メンマの願いは最期まで隠されていたわけですが 最終回の めんまの『じんたん泣かす』発言で賦に落ちた感じです。 主人公のじんたんはいま『あの花』を見ている視聴者なんだ。ひきこもりのじんたんは現代っ子のメタファーで 笑ったり泣いたりできなくなって感情に乏しい若い子たち。 それを泣かせる使命を持ったキャラがめんまだった。 と考えればいいのかな まあ 中年のひきこもりや 親しい人を亡くしたビジネスマンにもがっつり食い込みそうなお題ではあったわけだけど 私ぐらいの歳になれば 身内や友達の何人かは亡くなっているのがふつうで、めんまをそういう故人にあてはめるような見方をするひとなどは 共感の仕方がだいぶ事なると思います。 最後の願いを聞くまではそうした中年層に向けた感傷的なメッセージだと考えていたのだけど 特に毎回ラストでかぶせてくるZONEの『秘密基地』の味わいは思春期にこの曲の洗礼を受けたある程度の年齢でないと趣がわからないだろうから。(今日の5の2のEDでも『秘密基地』が使われていたが本編の流れとは全く関係もない アニメ自体の出来ががっかりだったのもあるが勿体無い起用であった EDを聞くためだけにとりあえず見ていた記憶がある だがやはりいい曲はいいのだった)
そうした部分を考えると若い人から お年寄りまでたいへんひろい層にメッセージを投げようとしたわけですね
花の表現は何度も登場する 花火 つるこの髪飾りの花 そしてめんまの手紙の形に添えられた花 あなるのハンカチにプリントされた花 瓶に添えられた花 ストーリーの上ではあの花がなんだったのかについて語られることはなかったのだけれど
で 結論がないので子供時代への憧憬の念の強まりと反比例して薄まっていく子供のころに感じた青春時代の想い そんなものを全て象徴したものが あの花という言葉で 誰もが子供時代に感じたであろうなにかである つまり名前はない。と理解しました。
ラストで全員にめんまが見えるくだりは想定していたんだけど やはり盛り上げ的に 見えないで終わるわけにはいかないと思うし
ご都合主義という批判もあったけれど、その前のシーンでめんまに対する過去のトラウマの告白すなわち神社の神前での懺悔があって 皆一様に涙を流すシーンがあるわけで 時間に置き去りにされたまま もっとも子どもらしいココロを保持していた めんまが見えるじんたん それと同様に子供時代のココロに懺悔を通してリンクしたことで めんまは皆の前に姿を見せることになったのかな。と 解釈。
じゃあなんで じんたんは一度めんまちゃんが見えなくなっちゃったの といえば外の世界に触れて 大人の階段のステップを上がりかけたわけですかね。 つまり じんたんがいつまでも子供ではいられないステップに成長した目覚めはじめたという そんなところ。そのきっかけとなったのが
花火の時にめんまの成仏を望んでいない自分に気づいたくだりで 我欲に目覚めちゃうわけ それがほかの我欲まみれのバスターズのほうへ引っ張られてしまう
要因になったと・・ いうそんな感じ。
かくれんぼシーン メンマとの別れを印象づける場面ですが 普通の演出だったら例えばアニメ初回の冒頭にかくれんぼシーンを一度もってきて とか 何回か作中で過去のかくれんぼをリフレインする とか 現在の子供たちがかくれんぼしているシーンを出して などという伏線を貼るのが常套だとおもうのだけど いきなり感が拭えなかったかな。
ぽっぽのシーンも引っ張った割には1カット入れておしまい で 後日談の方にも登場しないという不遇さ
まあショッキングなシーンを出されてもひいてしまうから あそこは想像に訴えかけるポッポの表情から色々想像させる演出で正解だったと思います。
僕たちは過去を降りきって未来にいきなければならないんだ ラララー 的な気持ち悪い後味があったことも否めないです いくら5年前になくなった人間だったとしても いままでそこにいたのにそんなに簡単に 生活がもどるものだろうか。 という点は違和感を感じました。 それが若さ故の弾力的な捉え方なのか? んーリアルはもっとひきずるとおもうよ そんな観点で見ると手放しで最終回は褒めていいものかとちょっと悩みました。
ラストの電車の中 ドラマ高校教師のラストシーンのようだが つることゆきあつの席の位置が隣り合っているわけではなく となりの別の席に座っているところが まだ2人の関係に距離があるということだと思う。とまあ こちらは丁寧な演出であったと思う。
一方のじんたんがあなるにハンカチを渡すシーンでは以前辛く当たった同級生があなると打ち解けているという伏線回収的なシーンだったと思うが 頬を染めてしまうシーンが、あなるがじんたんといかにも両思いになることを明示しているわけだが、 あなるがすでにメンマのことを既に引きずっていないような描写であることから なにやら視聴者にモヤモヤが残ったわけですね。
結局この後日談的シーンがめんまに対する配慮がない かわいそすぎだろめんまという評価につながっているような気がします。
メンマの本当の気持は結局わからなかったよね じんたんのお嫁さんになりたかった というのがただひとつの本音で 他の娘にあてられた当たり障りの無いお手紙は めんまはよくできた幼女だなあと思わせてはくれただけだったし じんたんのお母さんの願いを叶えためんまだけれどメンマの気持ちというものは介在しなかった気がします。 一方でバスターズのメンバーはただただ めんまを(成仏させるとは違う方向で)消えて欲しいと願って進行していった ここで問題になるのは本当にめんまは成仏できたのか? という疑問が視聴者に浮かんだのだろうという点です。
もしも 自分が死んだとしたら 結婚したいほど好きな相手がすぐに他の女と仲良くなってくださいと願えますか そんなにできたメガミみたいな都合の良い人間がいるのでしょうか。それを あきらめの気持ちでめんまが眺めていたとしたら それがほんとうに悲しい。
女性はわりと割り切るが 男性は思ったより引きずる。 さようなら はいおしまいではないわ
例えば じんたんがラストで 花をみつけて 何かを想い返すなんていう余韻のシーンがあっても違ったかも知れないし。 数年後に樹の下に集まっているシーンがあっても違ったかも知れない そのときに平和バスターズからめんまにあてられた手紙が再び花の形に並べられていたり まあそれだと成仏はしても転生という事に結びつかないんですけどね。 そんなフォローがなく ぶつっとおはなしは切れてしまったのが心残り。そこらへんが少々雑っぽい。
結局 女性陣は想い続けた自分の好きな相手をゲットして男性陣はだれも特別に好意を持った女性をゲット出来ないという図式に原作者岡田マリーさんの ささやかな男への反逆のココロが見て取れた様な気もするこの話。
同じシリーズ構成(脚本をまとめる人のこと)での『とらドラ!』では亜美と実乃梨が号泣で竜児を諦めた。その報われない脇役のためのリターンマッチとも思えたりもする
たしかに1クールは短いのだけど 演出的には冗長で重要じゃないシーンも結構あったような気がするし せめて後日談は一年後なりのテロップが欲しかったな あの追加シーンがもし時間が経ってあそこまで立ち直ったならば、わからなくもないけれど
タイトルがあの花 であるから 牛乳ビンの花も あの時の花 小学生時代なくなった当時に添えた花と考えるのが自然な気がするので 皆がその後集まったという描写でもないだろう。ちなみに牛乳ビンに添えられた花はハルジオン で。花言葉は『追想の愛』だそうだ。
ああ 自分なら桃屋のメンマの瓶を添えて笑いを取るかも知れないなあ とか っ漠然と考えてしまいました ゆがんでますねw
普通にいいはなしではあったのだけど やはり泣かせるシーンを積み上げた化学調味料を効かせた料理に仕上がってしまったかな というところ が印象でしたかね。全体的によくばりすぎたかも いろんなメッセージを伝えようとしすぎた感がしました。
ただ めんまの願いがはやく自分を忘れてなかよくしてだったらこれは全部ひっくり返る。んですけどね それは誰にもわからない描かれ方だったし 都合良く捉えるなら 既に死んでいる めんまに嫉妬の念は無くあなるちゃんじんたんをお願いね で 生きている人間の罪深さと対比してあなるを女神の位にまで押し上げた描写だったんですといわれればそれまでだけど。
転生を題材にしたということでは 私たちの世代に多大なトラウマを残した初代ミンキーモモがありました。
いちおうネタばれだけど 魔法の力を失ったモモは子どもを助けて救急車に轢かれて亡くなる そして フェナリナーサの両親とはさよならだが、一年間一緒に過ごした地球の両親の子供として転生する おはなしのつづきは生まれ変わったモモがいつか大きくなるまでおやすみです という 非常に美しい脚本だった。 CV小山茉美の元気な演技とこの最終回が対比されて 一層悲しみが込み上げてくるという そんな最終回でした。 こちらは未だに語り継がれる文句なく名作。
あの花の場合は最初から めんまは幽霊で、なぜあらわれたのか そしてどうすれば成仏させることができるのかが最終目標だったわけで どんなに好きでも結ばれることはないという ある種あきらめの境地のままに物語は進んでいった。 ゴーストだのリトバスだの似ている話は山ほどあるので自分の知っている話に投影して視ていればよかったのでモモほどの絶望感はなかったですけどね。 ただ ラストの投げっぱなし感が残念だったかなという。。
この両作品ともテレビオリジナル話なのですが 毎回どんな謎が語られるのかと見守る そんなドキドキした気持ちを味わえる作品がテレビから再び流れることは喜びでしか無いです。そして やはりオリジナル作品の『まどか★マギカ』の成功も後押しして今後もこうしたテレビオリジナル作品が企画されているということで 再びアニメは輝きを取り戻している気がします。
長井龍雪監督とスタッフのみなさん 『とらドラ!』につづいて 良い作品を残してくださってありがとうございました 昔の名作だっておとなになってみればおかしなところはいっぱいあるんですよ そんな見方しかできなくなってしまった きたない大人に育った自分が嫌です
ともかく今後予定されているならば後日談も見てみたい気もします。 原作 岡田麻里さんの『あの花』小説もリリースされるようで、ツイッターによればまだこのプロジェクトは続くらしいので、できれば ぽっぽちゃんに彼女を作って幸せにしてあげてください 一番人間らしい感情を持っていたのが彼だったので・・・まあ一生童貞ってのもいいけどさインドの山奥で修行とか そっちは川内康範脚本でw (故人ですけど)
あるいは ゆきあつ夫妻が めんまを自分たちの生まれてくる子供に転生させようと躍起になるようなシーンがあるのかも知れない あの男ならやりかねん 『つるこおお じんたんたちより先にメンマを転生させるぞおお』みたいなw
この程度の感想を ひねり出すのに時間かけるとかいうのもバカバカしかったです もっとサクっと書いてしまえば良かった ほんと 時間が経つとアラが見え始めて純粋な気持ちで感想を書けなくなるから 次期アニメからはがんばるよー
追想1:
夏はきっとあの花の薄い本がいっぱい出るんだろうな いまのところ あなる本ばっかりネタ的に出ているみたいだけど あなるのアナルが、どうこうって言うのはストレートすぎてなんか物足りない 原作者に絡め取られてるだけじゃないっていう
あの花ってなんだろう きっと菊門のことだよアナルだし
つるこが、優等生で普段は冷ややかだけど見えないとこではすっごいエロ娘っていう妄想もよく語られていました
最終回であなるへの感情が爆発しちゃってましたけど 自分から ゆきあつには決して告白めいたことはなかったという
硬い精神の持ち主だったわけで ラストでまんまとゆきあつを尻に敷いている描写があったりと 色々想像に火をつけられる部分の多い娘でした こちらはむしろがっつり厚い本をだしていただきたいタイトルは『つるこでおま』みたいな。。 ここの読者が鶴光ネタがわかるかは知らないけどw というちょっとした変態志向の上級者向けキャラでした。つるこかわいいよつるこ。
めんまちゃんは そっとしておいてあげてください。 ああでも じんたんとエッチな思い出つくりをして成仏するなら綺麗におさまるかもしれないなw
追想2:
私も数年前に母を病気で亡くしました。 葬式から帰ってひとり茶の間にいたところ 風もないのに母の衣服がパタリと落ちて そのときは気にもとめなかったのだけど 。。毎年 母の命日 12月5日の前日の12月4日の晩になると暖房を効かせて閉めきった部屋にかけてある洋服が風もないのにポトリと落ちる。むろん一年間洋服が落ちたことはない。 すると母が帰ってきてるんだと 生前母が好きだった ふろふき大根を煮はじめる なんていうのが、いつの間にか亡くなった母と私だけのサインになっていたりします これは 誰にも話したことがないので このブログを見に来ている人たちだけにそっと公開 もちろん ただの偶然かもしれないけれど、 もし亡くなった親愛の人が会いに来てくれたら それが目に見えるならもうひと目という想いはだれにでもあると思うわけです。 そんな気持ちで見る あの花は少し違って見えるかも知れませんよ。
